こんにちは。ジャマイカのフルタ(@Furuta_Jamaica)です。
ジャマイカの学校現場に入って驚いたことの一つは、教室の中が派手に装飾されていることです。
カラフルでジャマイカっぽいなぁー!
たくさんの掲示物が至る所に貼られていて、教室はどこの学校も華やかです。
もうこれは一種の文化だと思っていて、「素敵な教室を作ること」は先生の一つの役割というのが完全に定着しています。
ただもしその文化が、子どもたちが勉強をする環境に悪影響をもたらしているとしたら、僕はどう声をかけたらいいんでしょうか。
今日は、日頃感じているそんなもどかしい気持ちを書きたいと思います。
素敵な教室を作りたい先生たち
先生たちは装飾をするのが好き。
特に女性の低学年の先生なんかはカラフルな教材を壁にたくさんくっつけて素敵な教室を作ります。
隅にはおもちゃなんかも置いてあって子どもたちからしたら最高ですね。
算数や英単語などの勉強に関連した教材を貼ることで、子どもたちがもっと勉強を楽しんでくれるようにという思いが込められているみたいです。
「子どもたちがワクワク勉強できるように」という思いをもって作られた個性豊かな教室。
先生たちは、これが子どもたちのためになると信じて、一生懸命装飾を頑張ります。
でも、それって本当でしょうか?
勉強に集中できない子どもたち
最初は雰囲気が明るくていいなぁと思っていたジャマイカ流の派手派手教室ですが、すぐに問題があることに気付きました。
それは、子どもたちの授業への集中力の妨げになっていること。
先生の説明を聞かなくちゃいけない時でも、どうしても掲示物を見てしまう。
授業中なのに、ジャマイカの地図を見て「ジャパンってどこ~?」と探してしまう子も。可愛いけどさ。笑
算数の授業をしているときの黒板の周りには、曜日や月の名前、アルファベットなど全く関係ない情報がちりばめられています。
そのせいか、生徒は板書を写しているときに突然動きが止まってしまうことが多々あります。
一生懸命写そうとしていても、どうしても集中力がそちらにそれてしまう彼らのもどかしさ。
特に天井からヒラヒラぶら下がっている紙が厄介で、これが邪魔で黒板が見えなかったり、視界に入ることでそっちに気を取られたりしてしまいます。
それがこんなにいっぱいあるわけですから、そりゃあ子どもたちは集中できるわけありません。
そして一番残念なのは、こういう教材の張り紙は授業中には気になるのに、休み時間では誰にも読まれないことです。笑
そして、特別支援級のないジャマイカの学校では、クラスの中に本当に色々な子どもたちがいます。
席にずっと座っていられなくて走ったり教室から出て行ってしまう子もいます。
このクラスの派手な装飾は、特にそういう子たちにとっては勉強をする上での障害になります。
集中しようと思っても、情報が次から次に入ってきてしまうんです。
この装飾は誰のため?
それなのに先生たちは「集中しなさい」と怒るわけです。
それで子どもたちは集中しようと頑張るわけですが、時間が経つとどうしてもまた視線が周りに行ってしまう。そしてまた怒られる。
まさに上島竜平状態。「おい絶対見るなよ!絶対だぞ!!」と言いながら、すごく見たくなるものを置いておいて、見たら怒る。
うーん、勉強したいのに集中力が切れてしまう子にとってはすごくかわいそうだなと思う。
子どもたちにとって勉強の妨げになっているとしたら、はっきり言ってこの装飾は誰のためのものなんだろう。
装飾するのが当たり前
派手さ加減は色々あるとしても、どの学校にいっても色々な張り紙や飾りがされています。
ジャマイカではこのようなクラスの環境づくりが当たり前になっていて、それがこどもたちの学習にどう影響しているのかということは今更議論されないんだと思います。
なんなら教育省から指導が入って、子どもたちが学習できるように教材の張り紙をもっと増やしなさい!と言われることもあるそう。
うーん、なんだかなぁ。
本当に子どもの学びの環境を考えているのかな、とも思っちゃう。なんか「素敵な教室ね~」とか「こどもたちも喜ぶでしょ~」とかそのレベルで考えてるんじゃないかなとも思ってしまうこともある。
子どもたちは自分で言葉で表現できないけれど、彼らが本当に求めていることは、教室なんか質素でも何でもいいから落ち着いて勉強できる、ということなんじゃないのかな。
文化を変えるべきか
ジャマイカに来てから色々な文化の違いに出会いました。
日本人より集中力がなくてじっとしていられない子どもたち。
ジャマイカならではの「歌」を入れると一気に元気になって楽しみながら算数を学べるようになりました。
時間にルーズで遅刻や欠席の多いジャマイカの子たち。
お互いに教えあう活動を入れることで、昨日休んだ子も遅刻しちゃった子もみんなが学べる環境ができてきました。
今までは、そういう彼らの特徴をいい方向にもっていくことができた。
ただ、このクラスの装飾等については、正直に言って「やめる」ことが一番で唯一の解決策だと思ってしまう自分がいる。
変えるつもりはないけど
もちろん協力隊員として、日本みたいな学校にしようとかは思っていません。
きっと日本人が無理に反対して止めさせようとしても、それは意味ない。
なぜなら結局自分がいなくなった後も学校を作っていくのは彼らだし、彼らが正しいと思っていることをサポートしなきゃいけない。
ただ、彼らの信じて進んでいる道が方向性が間違っているとき、どのくらい手を出すべきかってすごく難しい。
彼らの選んだ道だからって尊重したい気持ちと、明らかにそれがうまくいっていない様子とそれに巻き込まれるこどもたち。
ちょっと我慢できなくなって「装飾こんなに必要なくない?」と聞いたときに先生から帰ってくる「え?キレイでいいじゃない」という言葉。気持ちのギャップ。
なんだかなぁ。
次はこちら⇒
「消えろ事件」を日本でもう一度見つめなおしたら、僕が本当に助けるべき人たちが見えてきた
コメントを残す