こんにちは。ジャマイカのフルタ(@Furuta_Jamaica)です。教育省で働いています。
先日ジャマイカのお楽しみ会に参加したときに、先生のケーキの切り方を見て「うわ~ジャマイカ人ぽいな~」と思ったことがありました。
このケーキの切り始め方がジャマイカ人の考え方をよく表していて面白い。
生徒の人数から逆算して等分するんじゃなく、1人の食べる分をまず切っていく。
足りるか足らないかは後で考える。 pic.twitter.com/KmLJZZPXNV— フルータ@ジャマイカ教育省🇯🇲 (@Furuta_Jamaica) 2017年7月10日
今日はそんな出来事から感じたことを書きたいと思います。
考え方の違い
日本人的な感覚
まず僕がケーキを切るとしたら、こう切ると思います。
クラスには20人生徒がいるので、平等に配るために4×5で切ろう。
だいたいこのくらいかなぁ、という目星をつけて、てことは1つ分はこのくらいだから…という感じで一切れを切る。
それか、20人ってわかっているんだから先に全部切っといてもいいな。
ジャマイカ人的な感覚
一方、ジャマイカ人の先生はとりあえず一人が食べそうな量をズバッ!とまず切りました。迷うことなく。
全体を平等に分割して、なんてことは全く気にしてない勢いで行ったので僕としては「えっ!」と思いました。
これじゃ平等に切れないじゃん。
結局最後の方は足りなくなって、一人ひとりのサイズはばらばらになっていました。
この、全体から逆算するんじゃなくて、とりあえず進めていってヤバくなってきたらその時考えるみたいな発想ってすごくジャマイカの人っぽいな。
活動の中でもそういった考え方に振り回されたこともあるし、ケーキの切り方っていう些細なものに根本的なものが現れていて面白いなと思いました。
同期にこの思いを伝えた
同期隊員にケーキの写真と感じたことをLINEしました。
そこで返ってきた返事に、ハッとさせられました
僕「この切り方ジャマイカっぽいよね。
何でまず20等分すること考えないんだろ」
同期「なんで4×5をまず考えないんだって思うよね。
でも、平等に分けることが正解だと信じ切っている自分にも気が付くよね。」
ぎゃ、ぎゃふん!!
本当や、、、確かに言われてみれば、みんなにケーキが必ず平等に行き渡るようにすることが絶対的に正しいと思っていた。
ケーキの大きさはバラバラだったけど誰も文句なんて言っていなかったし、大きさがどうのこうのって考えているのは日本人の僕だけ。
ジャマイカ人のみんなにはどうでもいいことに、一人だけこだわっている自分に気付く。。
それなのに、「なんでこうなんだ」と少し批判的な目で見ている自分が恥ずかしくなりました。
日本人って「独り占めは許せない」とか「自分より得をするのはズルい」っていう感覚が強いと思っていたけど、その「平等」が絶対な文化が関係してるのかな。
幸せって相対的なもの?
同期とその話が発展して「幸せって相対的なものなのか?」という話をしました。
例えばアメを3つ貰ったとして、単純にそれは嬉しい。
でも、もし隣の人が4つ貰っていたら僕は「何で自分だけ3つなんだ!」と不満に思うはず。
逆に自分だけ多くもらえたら、ラッキーと思う。
でもこれって本当の意味での幸せなのかな。
いつも周りを気にして、得できてるか損してないかばかり考えてる。
ジャマイカ人ではそういう意味で他者に寛容です。
見るからにお金がなくて困っていそうなのに、余ったフルーツを分けてくれようとする人もいます。
僕が逆の立場だったら「金持ちのチャイナマンなんかにくれてやるか!」と思ってしまうかもしれない。
周りと比べて優越感に浸ったり劣等感に押しつぶされそうになったりするんじゃなく、今自分が置かれている環境にまず感謝しよう。
いろいろと飛躍しちゃったけど、そんなことをジャマイカ人のケーキから感じたと同時に、日本人としての考え方が絶対に正しいと思っていた自分が恥ずかしくなった、そんな七夕の夜でした。
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